源義経の足跡を辿る

起業家の道

源義経といえば悲劇のヒーローとして有名です。私は昨年から今年にかけて源義経の足跡をたどってきました。その思い出を掲載したいと思います。

(下記に掲載する以外に、小学生の頃に香川の屋島に行ったことがありますが、残念ながらぼんやりとした記憶しか残っていません。)

壇ノ浦

友人が下関に転勤したのがきっかけで、訪問することができました。
この辺りは壇ノ浦の合戦のほかにも、巌流島の決闘や下関戦争などの現場であり、まさに歴史の宝庫です。

海の上で八艘飛びをしたとのことですが、ほんと勇気があるなと思います。壇ノ浦の合戦の頃は、源義経が最も輝いていた時期。「怖いものなし」だったのかもしれないですね。

首途八幡宮

牛若丸時代に源義経が奥州平泉に出立するにあたって、旅の無事を祈ったとされる神社です。私は大学院時代、首途八幡宮がある智恵光院通に住んでいたのですが、その存在を最近まで知りませんでした。(首途八幡宮があるのが智恵光院通今出川上ルで、私が住んでいたのは智恵光院通中立売下ル、でした。)私の転勤が決まって以降、12月、1月と2回訪問して、関西からの無事な旅立ちを祈りました。

平泉

東北は昔から行きたかったところだったのですが、今回やっと行くことができました。
平泉では、高館義経堂、中尊寺、毛越寺を訪問しました。
高館義経堂は源義経最期の地。高館からの見晴らしはとてもよかったですが、義経自刃の地なんだなと思うと物悲しくなってきました。義経の無念さが感じられる景色でした。

【高館から見た景色】

中尊寺金色堂は豪華絢爛!奥州藤原氏の栄華が感じられます。毛越寺の庭園も美しかったです。源義経もここも訪れたはず。

平泉は奥州藤原氏が滅んで以降、ほとんど手をつけられていないせいか、自然にあふれていて、心が洗われるような所でした。きっとまた戻ってきたいと思います。
ちなみに、前日に行った松島と仙台で食べた牛タンも最高でした。

鎌倉

鎌倉は義経の敵である源頼朝の本拠地であり、私には少しネガティブな印象がありました。でも行ってみると、歴史に溢れたすばらしい街でした。鎌倉もまた訪れたい街ですね。
鎌倉では、腰越の満福寺→稲村ヶ崎→和田塚→鎌倉大仏→長谷寺→鶴岡八幡宮→源頼朝の墓→大江広元の墓→荏柄(えがら)天神→鎌倉宮→東勝寺跡→腹切やぐら、と周遊しました。

源義経ゆかりの地は、腰越状で有名な満福寺です。東京から1時間ちょっとで来られる所なのですが、東京とは打って変わって、時が流れるのがゆったりしているなと感じられるところでした。ただし、当時の義経はのんびりどころか、イライラしていたはず。
このひっそりと静かな寺の雰囲気が義経の無念さを感じさせます。

鞍馬寺

源義経巡りの最終地点は鞍馬寺です。
こちらも、京都に住んでいた時は一度も行っていませんでした。
鞍馬寺は義経が遮那王時代に滞在した寺。義経ゆかりの遺跡がたくさん残っています。
【義経公息次ぎの水】【義経公背比べ石】【僧正が谷不動堂】などです。

やらなくて後悔するよりも、やって後悔する方がまし

源義経の足跡を辿ってみて、それは無念と悲しみに包まれている、というのが正直な印象です。源義経は31歳の若さで亡くなったとのこと。短い人生だし、無念さもひとしおだったと思います。

私は今年で30歳。義経の享年にかなり近づいてきました。義経ほどではありませんが、私も自分なりに苦労を重ね、齢30にして、今年たいへん大きな決断をしました。それもこれも棺桶に入る時=死ぬ時に後悔をしたくないからです。「やらなくて後悔するよりも、やって後悔する方がまし。」私は信じて疑いません。後悔なく人生が終えられるよう、自分の夢を追いかけて生きていきます。

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