去る2020年4月20日月曜日、私の祖父、太田和光が他界いたしました。
享年96歳、「生ききった」と言える祖父の人生だったと思います。
社交的な祖父でした
祖父はとても話好きで、コミュニケーションが上手で、仲間が全国にいて、要介護状態になる前まで、多くの仲間に囲まれていました。
たくさんのおば様達に囲まれている祖父の姿をよく見かけました。
私の今の社交的な性格、行動は、祖父からの遺伝だと実感しています。
好奇心旺盛な祖父でした
祖父は要介護状態になるまで、パソコンを使いこなしていました。90歳を過ぎても、ちゃんと電子メールを書いて、ワープロソフトを使いこなし、世に自分の思いを発信し続けた姿は、私ら家族には普通でしたが、すごいことだと思います。
私がサラリーマンを卒業して岡山に帰ったのが2006年、今から14年前のことです。岡山に帰った直後、私は独立起業の成功に向けて、大量の自己啓発本を読んでいましたが、祖父は私の本棚を見に来て、私が買ってきた本をたくさん読んでいました。また、新聞の広告欄を見て、祖父の興味ある自己啓発本を見つけ出しては、私に買ってこさせていました。
私の知的好奇心の強さも、祖父からの遺伝だったのかもしれません。
3人の子供、9人の孫、18人のひ孫
私が岡山に帰った2006年、私は太田家の家系図を作りました。
亡くなった祖父の部屋には、私が作った家系図が2枚、そして、祖父自身が手書きして作った家系図が1枚置かれていました。
そこには、3人の子供、9人の孫、18人のひ孫の名前が書かれていました。
祖父はこの世に本当に多くの子孫を残しました。
私は祖父の棺に、最新版の家系図を納めました。
コロナ禍の影響を受けました
祖父は亡くなる数日前に病院に入院しましたが、新型コロナウイルス感染防止対策により、私は病院出入り禁止となり、結局、お見舞いも行けず、最期を看取ることもできませんでした。
私は急用があって、祖父が亡くなる1週間前に顧問先のある関西に出張しており、病院への出入り禁止となっていました。私の出入り禁止が解ける日までがんばってほしかったのですが、私の望みは叶いませんでした。
通夜、終祭(葬儀)も寂しいものになりました。
新型コロナウイルス感染防止対策で、通夜、終祭ともに、祖父に近い家族数名のみで執り行いました。
祖父の親しい知人の皆様、親族には、通夜の前後、終祭の前の時間帯での参列、そして遙拝(ようはい)をお願いしました。
社交的でいつも仲間に囲まれていた祖父には申し訳ないと思いつつ、でも、今我々が置かれたこの厳しい環境下では、これが精一杯の祖父への奉公だったと思います。
それよりも、祖父自身のPCR検査が陰性でしたので、無事に終祭ができたことが救いでした。少人数でしたが、家族で落ち着いて、温かく祖父を見送ることができました。
祖父の思いを受け継いで
今まで96年間、祖父太田和光を支えてくださった全ての方に、この場を借りて深く御礼申し上げます。
祖父が他界して1週間たちました。
祖父はきっと今頃天国で病気から解放され、先立たれた祖母、私の母、そして伯母に迎えられていると思います。
私は昨年、祖父宅のすぐ近所に新居を購入しましたが、祖父が元気なうちに新居を見せてあげられて、本当によかったです。祖父を車椅子で新居の前まで連れて行った際に、祖父が満面の笑みで喜んだ姿が今も忘れられません。「自分が生きているうちに、我が家にもう1軒家が建ったのを見られてうれしい」と喜んでくれました。
新型コロナウイルスのおかげで、たいへんな状況下にはありますが、祖父の思いを受け継いで、家内安全、家業発展に向けて謙虚に努めてまいります。
家族共々これからも倍旧のご支援をお願いいたします。